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カメラ好き建築士が江之浦測候所に行ってきた

こんにちは、ユウスケです。

今回は写真・カメラ好きで建築を専業にする私が江之浦測候所に行ってきた話です。

文章自体は現地に行く前に下調べをした内容に加筆・修正したもので、写真は当日の現地での写真です。

 

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2021年6月6日(日)の午後に訪れました。

小田原地方に午前中から降り続く雨を引きずっていましたが、午後になってなんとか雨はあがり、夕方にかけて晴れ間もでてきました。

雨のじっとりした感じと、少しの晴れ間が撮影できたのでなかなか面白かったです。

写真好き、建築好き、アート好きにはたまらない空間だと思いますので、興味がある方はぜひ訪れてみてください。

本ブログの内容については個人で調べたものですので、間違いがあったらすいません。

 

では、長文になりますがお付き合いください。

 

 

江之浦測候所について

 

 江之浦測候所について書きたいと思う。

2021年6月に訪れるであろうこの空間をより楽しむために、である。

この内容はインターネットで調べられる情報と「Casa BRUTAS特別編集【完全版】杉本博司が案内するおさらい日本の名建築」、杉本博司著「江之浦奇譚」、新建築2017年12月号を参考としている。

 

HPはこちら

江之浦測候所 | 小田原文化財団

 

2017年10月に竣工したこの建築群は「構想10年、工事10年」の年月をかけて作られた。蜜柑畑跡地。

写真家で現代美術家である杉本博司が手がけた施設で、正式には小田原文化財団江之浦測候所という。

測候所とは何かを観測し測候する施設であるが、ここは冬至夏至春分秋分といった季節の節目に太陽の軌道を確認することを目的としているとのこと。

そして、それを確認することにより自意識が発生し、そこに死と再生を見た古代人の記憶をたどる場として、この場所は造成されている。

建築主は公益財団法人小田原文化財団、構想は杉本博司

 

設計概要

 

基本設計とデザイン監修は杉本博司と建築家の榊田倫之による新素材研究所である。

新素材研究所という名前だが、最新のカタログに載っているような材料を極力使わず、昔からある材料や地域に根ざした材料などで建築を作るところが特徴。

 

shinsoken.jp

 

近作だと京都に新規オープンした京都市美術館の庭に設置されたガラスの茶室、聞鳥庵(もんどりあん)などが挙げられる。

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京都市美術館にある茶室

この聞鳥庵、ヴェネツィアヴェルサイユと旅をして京都にたどり着いたものである。

ちなみに、吉岡徳仁のガラスの茶室、光庵とは何の関連性もない。

日本の伝統的な建物をガラスという素材で表現する、ということが現代の同じタイミングで起こった偶然なのでしょうか。

 

杉本博司は茶室をいくつか設計しており、江之浦測候所では千利休の待庵を写した「雨聴天(うちょうてん)」を見る事ができる。

雨聴天はこの敷地に残されていたみかん小屋の錆びたトタン屋根を使用しており、“雨の日にはトタン屋根に響く雨音を聴く“ことができるため雨聴天と名付けられたという。

  

実施設計と監理は榊田倫之建築設計事務所が担当。

 

建築というのは建物を建てたい“建築主”がおり、基本的な設計を行う“基本設計”とより具体的で詳細な設計を行う“実施設計”がある。

ひとつ例えをすると、一時期話題となった新国立競技場において、ドバイの建築家ザハ・ハディドが行っていたのは基本設計、それを受けて(結局実現はしなかったが)細かいところまで設計をするのが実施設計というイメージである。ここでは日本の組織系設計事務所の最大手、日建設計が組んで実施する予定であった。

設計図書と呼ばれる比較的ざっくりとした図面は基本設計の段階で製作し、金額面を含めた契約などに使われる。これをもとにして建築予算が立てられる。

ボルト一本の納まりやアルミ型材のディテール、材料の一つ一つの材質や仕上げなどが細かく記入された”施工図”は別でメーカーなどが施工図を作図する、というのが一般的な建築業界の設計の流れとなる。施工図の取りまとめをするのは、施工者(ゼネコン=ゼネラルコンダクター、総合請負者)になる。

  

施工者は日本の大手ゼネコン5社のうちの1社である鹿島建設。日本の大手ゼネコンというと談合や不祥事などでテレビ等で見かけることは多いが、大会社というのは少なからずそのようなことはあるのだろう。代表作も多くあり、もちろんしっかりした会社である。

鹿島デザインという設計部門も持っており、ゼネコンながら(わりと)攻めた建築も見ることができる。

杉本博司の建築デビュー作となった護王神社も施工が鹿島建設だったとのことで、もしかしたらお気に入りなのかもしれない。

 

構造設計は佐藤淳が担当。建築構造設計者というのはほとんど表にでてこない職業であるが、名だたる建築家のパートナーとなっている業界では有名人。隈研吾山本理顕藤本壮介石上純也などとよく仕事をしている。

 

敷地面積は9496平米、建築面積は789平米。現在の建築面積であり、今後拡張・進化していくとのことである。レストランや宿泊棟などが予定されているとのこと。

なお、ここは農業用地であったが、農業用地は農家しか買うことができないというルールのため、杉本博司は農業関連の法人「植物と人間」を立ち上げている。

 

構想・設計者

 

杉本博司とは

写真家、現代美術作家。自分は建築関連での新素材研究所の人としての認識として知っていた程度なので、細かいことはWikipediaなどに譲る事にする。

 

ja.wikipedia.org

 

2002年に直島の護王神社を改修するところから建築に携わる。古い材料を使うこと、良い材料をストックしておいてそれを活かすなど現代建築とは違ったアプローチをする。半面、最新素材を通常とは違った方法で使うなど挑戦的な建築が多い。建築実務に関わる観点で見ると、金がかかって仕方がない設計が多いと感じる(アートという目線で見るしかない)。

写真においては「海景」や「劇場」、「建築」などのシリーズ作品がある。建築シリーズにおいては無限遠の2倍の焦点距離で撮影したぼやけた写真とし、建築家が頭の中でイメージしたフォルムのみを残す、というコンセプトがある。再現したいと思うも、「無限遠の2倍の焦点距離」がわからないので保留(わかる方は教えてください)。

大河ドラマ「青天を衝け」の題字を書いたことでも知られる。なお、自分は大河ドラマを見ていない。

 

榊田倫之とは

京都工芸繊維大学卒で、その後日本設計に入社。日本設計とは国内大手の組織系設計事務所の一つであり、規模や作品の多さでは日建設計三菱地所設計と並ぶ3大組織系設計事務所(だと個人的に思っている)。

その後はいくつかの設計事務所を経て独立され、ライカ銀座店などを設計している。

2008年に新素材研究所を設立、今は自身の設計事務所と兼任というかたちをとる。

宇都宮市公認大谷石大使第1号。任命のきっかけは本物件ではなく、カルティエの会場構成によるもの。

 

江之浦測候所、見どころ

 

明月門

元々は鎌倉にある明月院の正門として室町時代に建てられたものとのこと。その後、震災での半壊などを経て数寄屋建築家であった仰木魯堂に引き取られ保存された。その後には大日本麦酒(日本初の本格ビール製造会社。エビスビールの発祥会社)の創業者でビールの父とも呼ばれた馬越恭平邸の正門として再建。空襲により残されたこの門はその後根津美術館の正門として使用されることとなった。2006年の根津美術館の建替えの際に寄贈され、ここに再建されたものである。新築の建物は現行の建築基準法に適合する必要があり、この門は緊急車両が通れないなどの理由で使用できなくなったという経緯があるとのこと。

港区南青山にある現在の根津美術館隈研吾による設計で、数々の建築賞を受賞している。

なお、瓦の文様が外側と内側で違っており、外側は新たにデザインされた軒丸瓦が、内側は既存の軒丸瓦が使われている。

  

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ギャラリー棟

海抜100m地点に建つ全長100mの“夏至光遥拝(ようはい)100メートルギャラリー”。先端の12mははねだしになっている。これは夏至の朝に太陽が昇る方角に対して作られている。

主構造は鉄筋コンクリートで表面仕上げが両面とも大谷石となっている。大谷石を使用したのはここが一万年後に廃墟になり、建築が遺跡になることを想像し、枯れてもなお美しい建築でありたいという想いから、経年で風化しても美しい素材を使いたいという理由からとのこと。

ちなみに、この石の表面処理は「地球肌仕上げ」と言われているようで、石を切り出した際に地球側に向いていた面を仕上げに使っているからという理由から。

側面に張られた37枚の合わせガラスは柱がない構造となっており、RC躯体から跳ねだした片持ちの屋根と上下2辺で支持されているとのこと。

柱がない状態でガラスを支持すると外部とシームレスな空間が作れるので、自然との一体化が感じられる。

庭と内部空間を一体に感じることは日本古来の建築に通じるところがあり、伝統的な数寄屋建築で多く見ることができる。

[後日談]ガラスの荷重は下で受けている構造になるので、わりとガラスのゆがみが気になった。

 

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 伽藍道

ギャラリー棟の裏手の道は伽藍道と呼ばれる。元興寺の礎石(天平時代)、川原寺の礎石(白鳳時代)、法隆寺の若草伽藍の礎石(飛鳥時代)などが据えられている。

この江之浦測候所には多くの石が集まってきている。杉本博司はその理由を、自分が石を愛するからだ、と話す。

ここには先に述べた法隆寺若草伽藍礎石、川原寺礎石、元興寺礎石と飛鳥、白鳳、天平時代が勢揃いする。その他室町期、嵐山渡月橋礎石、桃山期、京都五条大橋礎石など枚挙に暇がない。

 

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円形石舞台

中央に大名屋敷にあった大灯篭の礎石を据え、京都市電の敷石を放射状に周囲に敷いたもの。京都市電は1895年に開業され、1978年まで走った。古いものは83年ものあいだ馬車や自動車に踏みつけられ、磨耗している。冬至比較的遥拝隧道の出口に位置し、冬至の朝日が舞台の中心を通るよう設計されている。

隧道出口正面にある巨石は江戸城築城目的で切り出されたとされる石。

近くにある門は旧奈良屋門。かつて箱根にあった旅館「奈良屋」の別邸への門が移築されたもので、江之浦奇譚においてはA級戦犯の門と呼ばれている。奈良屋の別邸には、後にA級戦犯とされる方が何名か滞在したとか。

  

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石舞台

石材は古材を基本とし、古墳時代から近世までの考古遺物及び古材が使用されている。

能舞台の寸法を基本として設計された舞台で、舞台の石は敷地の地盤整備をした時に出てきた石を使用している。手前の橋掛かりには福島から運んだ24tもの石が使われている。

石橋の軸線には春分秋分の朝日が直進する。

もともとは茅葺屋根の能舞台を建てる予定だったが、100mギャラリーとの共存は無理と判断され、屋根のない石舞台となった。

  

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光学硝子舞台

観客席は古代ローマ円形劇場遺跡を実測して再現された。冬至の太陽軸に直面して光学硝子が敷き詰められた舞台が設置されている。

光学硝子とは非常に透明度の高い硝子のこと。カメラのレンズにも使われる材料である。櫓状の基礎は釘を使わない檜の懸造りという伝統工法にて作られている。京都の清水寺と同じ工法である。古くからの懸造りは礎石の上に直接木材を乗せるが、ここではコンクリートからだしたボルトと緊結しており、古来と現代の技術が融合している。

一般客は舞台に上ることはできない。

江之浦奇譚によれば、この農地を取得する際に能が好きであったもともとの地主とここに能舞台を作ることを約束していたということ。残念ながら、そのご婦人は完成を前にして他界されてしまったそうだ。

  

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冬至光遥拝隧道

冬至光遥拝隧道は高さ2500mm、幅1200mm、長さ70メートルに及ぶ厚さ32mmのコールテン鋼製(耐候性鋼、素材表面を錆びたような意匠にした耐候性の高い材料)のトンネルである。先端は6m張り出している。

1年のうちで最も日が短い冬至の日は死と新たな命が再生する節目とみなし、人類の最も古い記憶という考えをもとに製作されたトンネルで、冬至の朝には水平線から昇る陽光が隧道の奥まで差し込むように設計された。

夏至光遥拝100メートルギャラリーと冬至光遥拝隧道はレベル違いで重なるように配置されているので、その角度は夏至冬至のズレを表すことになる。

水道の途中には採光のための光井戸があり、光学硝子のかけらが敷き詰められている。雨の日には雨粒が落ちる様子が見られるとのことで、雨が降っても雨なりの楽しみができるというのは嬉しいものである。

  

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茶室

千利休の待庵を写した”雨聴天(うちょうてん)”と呼ばれる茶室である。待庵の寸法をきっちりと写して作られたものであるとのこと。

屋根にトタンを使ったのは、利休が今の世にいたら使ったであろう素材は錆びたトタンであろうと考えたからとのこと。このトタン屋根はこの地に立っていたみかん小屋の屋根を再利用している。

茶室のにじり口(小さな入り口のこと)から出た先にある石造鳥居の方向は春分秋分の日の出の方向になる。にじり口の外にある沓脱石(くつぬぎいし)には光学硝子の塊が使われている。春分秋分には朝日がにじり口から差し込む。

茶室内にある掛け軸「日々是口実」は杉本博司自身の作。

傍にある鉄灯籠は桃山時代のもので、鉄灯籠の遺例は珍しいとのこと。

[後日談]ワンチャン中に入れるかなと思いましたが、入れませんでした。

  

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待合棟

4面が複層ガラスで覆われた開放感のある建物。樹齢100年を超える屋久杉のテーブルが中央に鎮座。高野山の大観寺にあった水鉢が支柱となっている。

ガラス越しに見える坪庭には杉皮塀を立て、高野街道と吉野街道の分岐点にあった道標石が置いてある。掘り文字は「右かうや左よしの至」。かうや、が見ようによってはかわや、とも読めなくないとのことで、化粧室へ案内するみちしるべとして据えられているとのこと。

[後日談]地上階に大きなテーブルがあり、お手洗いは下の階。床や壁、ベンチにいたるまで高級感があり写真映えする。下の階には杉本氏の稲妻の作品が飾られている。

  

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数理模型0010

杉本博司の現代的なアートといえばこの作品。円錐形の模型で、負の定曲率曲面と呼ばれる。大手町プレイスにも同様のものが設置されている。大手町のものはSUNDIALと名付けられ、日時計の役割も果たす。高さ12m。東京の忙しいビジネスパーソンは、その日時計を見る余裕が果たしてあるのか。

数学上の双曲線関数を目にみえるように模型化したもの。材質はおそらくステンレスだと思われる。双曲線は無限点で交わるが、それを実物で表現することは不可能なため、先端部の太さを5mmとしている。

基壇は光学ガラスの塊で作られている。

同様の形状の数理模型が2022年にアメリカにて設置される予定である。

 

数理模型0004

オンデュロイド、平均曲率が0でない定数となる回転面を表す。高さ4.517m。これはアルミ無垢材から削り出しているとのこと。これは竹の一変種と考えているらしい。

  

春日社参道

新たに設けられた場所。春日大社の鳥居と同形式の鳥居を新設。昔ながらの丹塗りで仕上げられている。石標の字は杉本博司によるもの。階段に沿って6基の石灯籠が並べられている。これは各地から集められた江戸期の春日灯籠とのこと。

 

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片浦稲荷大明神

東京渋谷付近にあった稲荷社と石の狐、別の神社に由来する鳥居などがここに集結したもの。江之浦や根府川を含む一帯を指す片浦の名を借りている。

 

 化石窟

三葉虫などの化石が見られる。蜜柑栽培が盛んだった昭和30年頃に建てられた道具小屋を改装。屋根の一部がガラス張りになっており、内部は非常に開放的に感じられる。

内装はほぼそのまま残し、古い木製農具なども残されている。天井から吊り下げられた灯りは東大寺二月堂の廊下にあったもの。

裏手にあるクスノキの近くには縄文時代後期のものと思われる石棒が飾られている。クスノキの根が露出し、寄生木が絡み付いた様にただならぬ気配を感じ、縄文の遺跡にしようと考えついたとのこと。

なお、この石棒は子孫繁栄を祈願する祭祀の道具だったとも言われているよう。

 

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関連書籍について

 

杉本博司「江之浦奇譚」

 

 

若い頃から海外で生活することが長かった杉本博司がこの頃難(コロナ、と読む)の時に日本に留まることを強いられ、そこで書こうと決めたのが本書、というのはあとがきから。

江之浦測候所の構想からここに置かれた様々な建築、石材などの背景が綴られている。常に好奇心を働かせ、面白そうなものにアンテナを張り続けてここができていることがわかる。ちなみに、完成と呼ばないのはここがまだ拡張を続けていくという考えから。

ネーミングはユニークなものが多く、駄洒落的なものが好きな人なのか、と感じることが多い。

江之浦測候所を見学する前に読むと、楽しめることは間違いないと感じる。

  

新建築2017年12月号

新建築は建設業界では鉄板の新築物件紹介の雑誌である。設計事務所ではかなり昔のものから揃っているものであり、本棚の大部分を占める。工期が2014年3月~2017年8月のこの物件(?)は2017年12月号に掲載された。

一般の物件とあまりに違いすぎるので、紙面の構成も独特。新素材研究所が保有する施工途中の写真は模型でのスタディモックアップでの光の確認、石の据え付け風景などがあり見応えがある。

ギャラリーのディテールが詳しく見たいと思っていたが、物件の細部については記載がなかった。

多くの工務店などが携わっていることもあり、巻末のクレジットがすごい量になっている。ここまで担当した個人の名前を載せるのは珍しいので、設計者の意向が反映されているものと思われる。

 

 

所在地、根府川について

 

江之浦測候所の最寄り駅は根府川駅東海道線無人駅で、駅舎が崖の上、ホームが崖の下にあるという構造になっている。海が見える駅、ということで関東の駅100選にも選ばれている。

昔はこの一帯は広大な蜜柑畑だったのだが、時代の移り変わりにより蜜柑農家が減少していき、今では過去の面影はない。

駅前にタクシーはいないようなので、タクシーで江之浦測候所に行く際はここから行くことはできないとのこと。

穴場初日の出スポットらしく、元旦は近隣の人で賑わうとのこと。また、桜が咲くのでレトロな駅と桜というよいシチュエーションで写真が撮れそう。

 

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まとめ

長文、お付き合いいただきましてありがとうございました。

まとめれば電子書籍一冊になりそうな内容ですが、写真は商用利用になるし文章は他の書籍を参考にしているので、ブログにて全公開です。

これを機にこの素晴らしい建築群がより多くの方の興味を引きますように。

 

それではまた!